今カタログの中でおだやかにポーズしている作品群は、まるで何事もなかったかのようだが、皆、一度は妖怪地獄の炎に焼かれて命をさずかった物たちで、中にはメキシコ生まれのものも居る。
今回の展覧会では誰も公開したがらない世界・作品の裏に張りついている泥々とした闇の部分にせまってみた。
作家が体験する孤独と恐怖と至福のプロセス、それは文字どおり泥沼状態となる…。
さて今夜もチミモウリョウが手ぐすね引く泥沼へ舟を出すとしよう。
彼らとのつき合いは数十年にもわたるが…どうも私のことを覚えてくれないみたいだ。
毎回、「そ、そんなバカな1」と叫びたくなるような仕打ちをされる。
いきなり舟ごと沈められる日もある。ここには友情とかなれ合いとかはないらしい。
あるいは、ひょっとして泥沼は幾層にもなっていて私は毎回ちがうところへ舟出しているのかも?
今夜の化け物はひょうきんで奇妙きてれつ、なぞなぞ攻め…ダンス攻めetc…せわしない応酬から逃げ出したのもつかの間、行く手には無数の魔物たちが飛びはね、くるくるまわり溶け出すものまでいて大騒ぎ。
中には「ホイッ」と道をあけて背中を押してくれる妖怪も居ってその時だけ小舟はわずかに前進できてるみたいだ。
スッタモンダのあげく…静じゃくが支配するまっ暗闇へ突入…行く手の闇を透かしてみるがさっぱり見えやしない。けれどそこには確かに何物がの息づかいがある。
恐怖が頂点に達した時、夢のように墨染め色の裸犬(メヒカン・ヘアレスドッグ)が現われた。
それは闇の案内役として高貴なムードをただよわせ黙して待機していたのだ。
もともとこの犬は死者と共に埋葬され悪霊とたたかってくれる冥土の水先人である。
いよいよ冥界へ入ったのか?
裸犬の肌がしっとりとひやっこく妙に人問ぽくって、そっと抱きしめてみた。うっとりと安らいだ。
ショロ犬は頬ずりをしてきて「私たちの世界へおいで…いいわよ」と甘く誘う。
私はしびれたようになってこのまま闇に沈みたい…と思った瞬間、反射的に裸犬から身をはがしていた。
気がつけば、もうそこに犬の姿はなく、再び迷い子の自分が一人闇に残されている…。
心なしかはるか彼方に点のような灯がともったように思われ、ホッとしたとたんに突然頭上から光の洪水がぶちまかれ、インディオたちのバンド演奏が始まる。
“風の楽隊”がかなでるメキシコのド演歌「サンドゥンガ」の音色が心の砂漠にしみ込んできた。
どこからともなくインディオの守護神や悪魔、精霊、ガイコツ、妖怪たちが集い、郷愁のメロディーに合わせてうっとりと踊り出したからたまらない。
私の泥沼の闇はメキシコインディオの世界へとつながっていた。
『遠路はるばるよ一くここまで来たね』と私をねぎらってくれてるらしい。
ここは現世ではないから「はるばる着く」とは距離の移動ではなくて、心のかっとうやエネルギーやイメージなど心の労働力をさす。
私が裸犬や妖精たちと交わした言葉は実際には発声されてないし聞こえない…ある種の心の音波である。異空間の心音が、人のアルファー波を刺激して届けられる宇宙のと息である。
それをつきとめて表現することがARTかも…?
もうそろそろ私のエネルギーも終わりそうだ。
消え入る自分が沼底にさし込む一条の光に吸収され瞬時に過去へと運ばれた。
作品も生まれると同時に過去への眠りにつく。
宿命の泥人形たちはついさっきまでの私自身だったのに…
以上、土の分身たちと「さよなら」する迄の旅路、今が過去になる寸前のきわどい境い目で起きた異界の風景である。